資料館だより

資料館だより

特別編 中種子町郷土誌⑩「移民・開拓地③」

 種子島への移住で甑島に次いで多いのは、奄美群島からの移住者で、特に喜界・徳之島・沖永良部・与論が多いようです。これらの島々からの移住者は、自分たちの島が、自然的条件に恵まれなかったため、生活の拠を求めて種子島に移住しました。主な移住は明治27年から28年に行われ、その後も相当数ありましたが、その数は不明です。
 奄美群島からの移住者は、全島各村に移住しましたが、その中でも西之表市の白石、十五番、中種子町の二十番、横町、竹之川、春田、竹屋野、南種子町の小平山、西之の上瀬田、上中の焼屋などにその多くを見ることができます。彼らは沿岸部には居住せず内陸の台地上で農耕を営みました。
 中種子町への移住は、中種子村誌(大正12年版)によると、「大島より百数十戸の移住者あり」と記載されており、その後幾らかの移住者もあって、現在の二十番、横町、西之山、長谷など各地に居住しています。
 沖縄からの移住については、大正初めの漁業人口の増加によって、沖縄県の漁夫が鹿児島方面に好漁場を求めて各地を転々とするうち、増田の大塩屋が漁場として最適地であることを知り、永住の地としました。大正15年には8戸が定住していました。移住当初は昭和初めの不景気によって生活は苦しく困窮の状態でしたが、農業・漁業のおかげで徐々に生活水準は高くなっていったようです。