2018-05-15
特別編 中種子町郷土誌⑫「移民・開拓地⑤」
明治42年には、大島郡徳之島からの移住者で、増田中平地部落の共有地を開拓し部落創設をしたものもあります。ここは後に、大峯、二十番などとともに二十番部落となりました。※当時の呼び方のまま記述しています。
個人移住者の例としては、福岡県から油久西之山へ移住した赤坂仁助氏があげられます。赤坂氏は開拓の先駆者で、赤坂の甘藷、赤坂の馬、堆肥で広く知られていました。
荒原を開拓する一方、造林にも努め、家なき者には家を、土地なき者には土地を与え、西之山の発展の礎を築きました(町新報より)。西之山集落公民館敷地内にある赤坂仁助翁頌徳碑には、「翁は明治元年五月十六日、福岡県三井郡東福童部落に生れ、明治四十四年、四十四歳の時、人の見捨行く、人家稀なる当地に移住、一意専心、開拓にはげみ、入植者に情資を与え、農業自立化並みに農産物栽培指導、増産に努め、部落振興を計り、四十二年間部落の発展に貢献し、昭和二十八年七月二日、八十六歳で死す。当部落先駆者として、この碑を建て徳をしのぶ。
昭和二十九年三月吉日西之山部落民建之」と刻まれており、想像を絶する苦難を乗り越え、厳しい環境を切り拓いた赤坂仁助氏の気概をうかがい知ることができます。